学生時代によく友人と「愛」を語った
「愛」ってなんだろうって
幾晩も車を走らせながら
その友人と話しあった
まだ20歳
若い小僧が行き着いた結論は
「想うこと」
どれだけ相手のことを
長く想えるか
深く想えるか
サークルでは確か94年の学園祭
ちょうちょ遊撃隊が「合言葉は、愛~(ダミゴエ)」
というフレーズを創り上げた
勿論軽い意味での愛ではあるが
同性に対する愛情として
仲間というか連帯感を生み出すのに
一役買った言葉になった
昨日四十九日法要を終えた友人は
それこそ異性同性問わず愛された
いま
それぞれがそれぞれの立場で彼を愛し
そして愛ゆえに薄れゆくことを悲しみ
愛するがために薄めようと努力している
それぞれに生活があり
それぞれに家庭があり
そして未だに避難中であったり
実家が被災していたり
被災地及び周辺で
必死に活動していたり
未だに御両親が見つからない
いろいろな仲間がいる
みんな抱えるものは違うのだから
私はみんなを慰めるとか励ますとか
そんな高度なことはできなくて
一緒に笑ったり、騒いだり
泣いたりすることしか
できそうにない
会うことが叶わなければ
メールや掲示板、ツイッター
方法なんかに拘らない
それが今、私ができる
精一杯の愛
彼本人に対しては
秘密やら約束やら
反故にされたものが多いので
私自身ふてくされているし
「別にいいっすよ、想ってくれなくても」
って笑っているんだか拗ねているんだか
わからない顔が想い浮かぶので
とりあえず意識せずに過ごそうと思う
遺体の発見や本葬を週末に持ってきて
私達が会いに行きやすい環境を作るという
最後の最後まで気を利かせた彼だから
こっちが想いすぎてボロボロになる様なんて
見たくないはずだ
だから
もう気を利かせなくてもいいんだよって
「淋しいじゃないスかぁ~」って拗ねるくらいの
そんなスタンスでいくことが
私なりの「愛~(ダミゴエ)」ってことで
まぁ時々は想うようにしとくから
枕元には立たんでちょうだいな
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