気がついていると思うのですが
サークルのDVDを作りました
本来ならば
笑って観ることができる
その画像・動画の数々は
震災の影響で
涙なくては観られない
それどころか
観ることすら難しい・・・
そもそも、なぜ、これを
作ったの???
観ることが難しい人が
いるのが分かっているのに・・・
それには、ワケがあるんです
一つはサークル設立20周年
それにあわせて作ろうというのは
私の中で決めていたことでした
そしてもう一つ
「スターウォーズの映画CM、いいよね~」
「ああ、あれでしょ、選ばれし者だったのに!(笑)」
「そうそう。あれってさ、ロープレでやったらどうなるかな?」
「面白そうッスね!!」
「でも誰がアナキンなんだ?」
「勿論ハナワさんっすよぉ!(破顔)ピッタリじゃないですかぁ!!」
「えー、No.6ちゃんとかは?」
「リアルすぎっしょ(爆笑)」
「ああ、そういや偶然だけど、マトリックスのCM手元にあるよ」
「いいじゃないですか!作りましょうよ!」
・・・
という会話
その時は
本当に何気なく
いつものくだらない
会話
でも約束
沢山企んだイベントの
その中の
一つ
だから
作りました
肉声も入っている
そのDVDを観ることは
とても辛いことだと
理解できます
でも
いつか
観てやって下さい
それは
誰よりも
彼が観たがっていた
モノだからです
13年乗った車とお別れした
感慨深く別れるんだろうな、なんて思っていたら
トイレに行っている間にさっさと連れていかれて
しまっていた・・・
ちょっと寂しい
走行距離は177,780km
あっちこっち擦り傷やら細かい凹みやらあって
社内は子供達が散々汚して滅茶苦茶
後部ガラスは隙間が出来ていて
高速道路でトラックに追い抜かれると
「ひょ~ぉぉぉぉおおお」って
地獄からの叫び声が聞こえて
インストのイルミネーションは9割消えていて
スピードメーターは時々タコメーターみたいに
ぎゅんぎゅん動いたり・・・
数えればキリがないほどボロボロだったけど
やっぱり寂しい
最初はスターレットだった
学生時代の相棒で走行距離は3年間で87,000km
5人乗りなのに7人乗ったり、台風のさなかにスタックして
トラクターに引っ張り上げてもらったり・・・
授業サボって東北を旅行しまくったっけ
社会人になってシビック
6年間で80,000km
週末の度にいわきに出現したり関東一円を
小旅行したり・・・
キャンプ道具を積み込んで、あちらこちらの
山に分け入ったのもこの頃・・・
そして同棲するちょっと前に買ったのがセレナ
ワゴン車最後のマニュアル・ミッションで
最近は「ナニぃ!マニュアル?」と
驚かれることが多かったっけ
実家に戻ってから親父→弟と所有者が
変わったけれど、双子が生まれてから
返却してもらった
子供達には生まれた頃からある車だったので
ちったぁ悲しむかな、って思ったけれど
新しい車の諸装備にいっぺんにメロメロ
まあ仕方ないか
あっという間に車が入れ替わってしまったけれど
新しい車も長く楽しく上手に乗って
大事にしていこうと思うのです
主に乗るのはカミサンなんだけどね・・・
例年より2週間早い梅雨明けなんですが
つまり、夏は、もうすぐそこに・・・
今年はサークルの総会を久しぶりに開催して
震災が来て
下の子供達が入園して
仕事は低調で
親父の体調があまり良くなくて
友達が亡くなったり
パソコン買い換えたり
商工会の部長になったり
あらためて会社の社長になったり
車を買い換えたり
まあ、色々あって
さすが?厄年だなと実感
正直「そういうの」が嫌いなので
地元の神社で「頼むよ神様」程度の
お願いしかしていない不届き者
でも、その神様がいてくれて
「この」程度なのかも、と思ったり
複雑・・・
それでも、気が付けば、夏
もう半年で今年も終わる
もう半分過ぎちゃったのか、とも思う
早いなぁ・・・
残りの半年、上向きか下向きか
はたまた平行線なのか
さっぱり分からないし
分かりたくもないから気にしないけど
まあ、なんとかなるでしょ?くらいの
達観
そんな先のことより
明日は下の子供達の納涼祭
やれ浴衣だなんだと大騒ぎ
日常の不安感は拭えないけど
その瞬間を背伸びしない範囲で
精一杯やっていくんだ
微妙な表現で、うん、私らしくて、ヨシ
さて、寝ようっと
最初に言っておくが私は賛成だ。
静岡に生まれてこのかた「地震、地震」と言われ、「(予想震度7、液状化危険地域のため)よくそんな危険な地域に住んでいるよね」と他県の人から言われ続けて生きてきた。そして冗談交じりに「原発?ああ、地震きたらダメだろうね」と笑って答えていたものだった。
だが今回の広範囲にわたる震災で、長期避難に伴う苦痛、津波が「さらう」恐怖、放射能の脅威を目の当たりにして、さすがに笑っているわけにはいかなくなった。
私が住んでいるのは原発から22.5km。福島と同じ事態に陥れば、風向きによっては全市避難の対象となり得る地域だ。そしてその20km圏内を東海道本線、東海道新幹線、国道1号線、国道1号バイパスが走り、御前崎港はおろか、ジャスト20kmに静岡空港もある。第二東名が完成すればどうなるかは分からないが、30km圏を想定した場合、400年に渡り東西の都を結びつけてきた東海道は全く使い物にならなくなるのだ。
原発を一度止めて地震及び津波対策を施して欲しいと周辺首長の一部と県知事は訴え、それに電力会社幹部が「大丈夫」という構図がつい先日まで繰り広げられていたのだが、それに対して手法の是非はともかく政府は「ストップ」と言ったわけだ。拍手喝采がある傍ら、やれ支持率だ代替策がないとか止めるのが浜岡だけの理由がわからんとかいう批評にはがっかりした。そんな人は一度浜岡を見にくればいい。海抜8mに建つ新旧5基の原発と10mと言われる砂丘堤防の実態を。静岡県の遠州地区ならば配られている「地震・液状化マップ」を見てみればいい。ネットだって簡単に調べられるはずだ。どれだけ危険な場所に建っているのかを・・・
そして地元企業の方には言いたい。国からの交付金が限りなく予算の半分を占める地元御前崎市はそれが無ければ存続できないというが、周辺にある鉄道も駅もない海辺の町は、今は合併が進み大きな市になったとはいえ、それ以前は健全経営してきた町村がほとんどだったのだ。ろくな観光資源もない中で、知恵を出して町おこしをしてきたのだ。今手にしているものを無くすというのは相当の覚悟と度胸が必要だが、そこでもう一度、福島県浜通りのことを考えて欲しい。
私は20年前にいわき市にいた。そこで自動車を手にし、それこそ東北中を走りまくった。3年間で走った車の距離メーターは87,000km。臭いかもしれないが、青春の全てが東北にあった。そしてそこで生涯の伴侶も見つけた。いわきは、浜通りは、東北は私にとって第二の故郷と言っても過言ではないのだ。
その故郷が地震と津波により壊されてしまった。あまつさえ放射性物質で汚され、そして今なお汚され続けている。既に原発報道はトップではなくなり、自分で探さなければ原発の状況は入手できない時期になっているが、30km圏内、いや福島、郡山地区を入れれば80km圏内のすべての人々にとっては現在進行系の災難だ。私の知っている圏内の方々は「放射能?イチイチ構ってらんねぇっぺ?」と笑うが二言目には「原発がねぇ・・・」と口を閉ざす。いくら口で大丈夫、と言ってはみても心の底に「放射能」の恐怖は刷り込まれ、毎日気にしながら生きているのだ。日常会話に放射線量が出てこない日はないのだ。考えてもみてほしい。いくら環境放射線量が低下したと言っても普段の放射線量に比べれば、まだ数倍から数十倍あるのだ。いくらそれが安全基準値以内であると言われても、より体に悪いものから遠ざかり、低い方へ移動したくのはまっとうな心理だと思う。それが故に差別がおこるのも、それを肯定なんぞできるわけもないが、無理もないと理解する。地震で建物が無傷でも長期間にわたり家に戻れない苦痛は、正直私なんかの理解は遥かに超えたものだろうと思う。
そんな状態に陥ってしまった私の第二の故郷。そしてそれが本来の故郷静岡で発生する可能性があるのなら、その可能性を限りなく減らして欲しい。人間の造るものは自然にとっては容易く壊すことのできるものだから「絶対」は存在しないことも理解できる。どこまで対策してもキリがないことも知っている。だがしかし、壊れることを想定するか、しないかは、そのもしもの際に大きな差となって私達に降り掛かってくるだろうことは、現実に福島を見ればわかるし、誰にでも理解できる話しではないのか?今ぐだぐだ言っている人は、もしもの際には一言も文句を言う権利はないと思う。
「総理が信用できない」なんて考えている人がいるのならば「自分が」歩いて見て考えて行動すればいい。「裏があるんだろう」と思う人がいたら一度20km圏内の方々の避難所に行って考えてくればいい。「夏になったらどうしよう」と考える人がいたら電気がどこで主に消費されているか、原発から北遠を通って西へ伸びる大きな送電線を追って欲しい。「支持率が」という人がいたら次の選挙でそいつらに票を入れなければいいだけだ。
太平洋と駿河湾、浜名湖では多種多様な魚介類。環境破壊なのでは?と揶揄されるほど山肌を埋めつくす茶畑から生まれる緑茶。蜜柑、メロン、山葵、西瓜、苺・・・自然の恵み豊かでのんびりとしたこの故郷が同じ目にあうのだけは、避けて欲しいと思うのはおかしなことなのだろうか・・・
学生時代によく友人と「愛」を語った
「愛」ってなんだろうって
幾晩も車を走らせながら
その友人と話しあった
まだ20歳
若い小僧が行き着いた結論は
「想うこと」
どれだけ相手のことを
長く想えるか
深く想えるか
サークルでは確か94年の学園祭
ちょうちょ遊撃隊が「合言葉は、愛~(ダミゴエ)」
というフレーズを創り上げた
勿論軽い意味での愛ではあるが
同性に対する愛情として
仲間というか連帯感を生み出すのに
一役買った言葉になった
昨日四十九日法要を終えた友人は
それこそ異性同性問わず愛された
いま
それぞれがそれぞれの立場で彼を愛し
そして愛ゆえに薄れゆくことを悲しみ
愛するがために薄めようと努力している
それぞれに生活があり
それぞれに家庭があり
そして未だに避難中であったり
実家が被災していたり
被災地及び周辺で
必死に活動していたり
未だに御両親が見つからない
いろいろな仲間がいる
みんな抱えるものは違うのだから
私はみんなを慰めるとか励ますとか
そんな高度なことはできなくて
一緒に笑ったり、騒いだり
泣いたりすることしか
できそうにない
会うことが叶わなければ
メールや掲示板、ツイッター
方法なんかに拘らない
それが今、私ができる
精一杯の愛
彼本人に対しては
秘密やら約束やら
反故にされたものが多いので
私自身ふてくされているし
「別にいいっすよ、想ってくれなくても」
って笑っているんだか拗ねているんだか
わからない顔が想い浮かぶので
とりあえず意識せずに過ごそうと思う
遺体の発見や本葬を週末に持ってきて
私達が会いに行きやすい環境を作るという
最後の最後まで気を利かせた彼だから
こっちが想いすぎてボロボロになる様なんて
見たくないはずだ
だから
もう気を利かせなくてもいいんだよって
「淋しいじゃないスかぁ~」って拗ねるくらいの
そんなスタンスでいくことが
私なりの「愛~(ダミゴエ)」ってことで
まぁ時々は想うようにしとくから
枕元には立たんでちょうだいな
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